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武勇伝的物語 [物語]

昔の「武勇伝」というのは、戦の後、戦陣で、或いは凱旋した自宅の炉辺での手柄話である。
こういう話を聞き伝え、書き伝えたものが、「武勇伝」という書物として伝えられる事もある。
つまらない手柄話もあったかも知れないが、多くは、家族や知人にとって、活きた知識として
生きるための智慧として、活かされたのではなかろうか。手柄話は戦場のものとは限らない。
女性の場合、掃除・洗濯等の家事、育児、家庭のやりくり、男性も、狩猟、漁労、農作業での
収穫、趣味、庭の手入れ、家畜の飼育や道具の製作・手入れなど、様々な手柄話があろう。

認知科学の分野に、“状況論的アプローチ”方法論という分野があり、状況を認識するため
「武勇伝的物語」を利用するというのがある。例えば、複写機修理技術者の修理の記録には
この「武勇伝的」記述がある。複写機修理技術者の「武勇伝的物語(修理記録)」を分析する
事によって、様々な現実が見えてくる。例えば、会社側と修理技術者とでは修理についての
認識にズレがあり、管理者は修理技術者のマニュアルにない実践の重要さを理解できない。
その結果、会社側は技術者が非協力的で能力が低いと思い、技術者側は会社側が自分たちの
能力を低く見積もっているために、訓練プログラムが単純すぎるのだと思っている。

会社側が、定形業務と思っている仕事でも、様々な否定形部分を内包しており、企業の業務
を改善していくために、「武勇伝的物語」を通して労働者側との相互理解を促進すべきである。
増して家庭内のコミュニケーションは、子育てや、家庭内の平和と福祉の増進のために行うもので
複写機のような機械以上の繊細で複雑な人間関係を扱うのだから、相互の「武勇伝的物語」を
謙虚に受けとめて、相互理解に役立てなければならない。

最近の世の中では、この「武勇伝的物語」自体が、衰退しているのではないだろうか?
時代にそぐわない自己中心的、自己陶酔的な話と考え、自他共に、戒め合っているのでは?
「武勇伝的物語」とはそういうものではない。成功した場合も失敗した場合も、その原因を
振り返り、その背景にある真の原因を探るための叙述であり、聞き手の反応によってさらに
深く掘り下げてゆく作業なのだ。自らの問題に真剣に取組めば取組むほど、その結果から
更なる学びを得るために、何かをせずには居られない。その発露が「武勇伝的物語」である。
「社会化」が進展し「個性化」が広がる中で、「疎外」を防止するには、語らう喜びの中で
個性化と社会化を共に達成することが必要である。自分の為でもあり、組織の為でもあって
組織全体が活性化する自らの活動とは何か?皆で「武勇伝」を語り合おう!如何なものか。
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