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うじきつよしと父親 [物語]

午後のNHK番組“スタジオパークからこんにちは”は、うじきつよしがゲストだった。
司会の住吉美紀と、うじきつよしは昔、一緒に司会した仲だとか。うじきつよしが89歳になる
父親の記録を撮っている話で、結構、住吉美紀の突込みが面白かった。これに関連して、
2009/8/10(月)「僕の父はB級戦犯 うじきつよし 戦争を語る親子の旅路」という番組が
テレビ朝日で放送されたらしい。内容に関する様々な感想が、インターネットに掲載されている。
感想の多くは、うじきつよしに対する強い不快感の表明が多い。いわば事と次第では
「戦争も辞さない」潜在的な戦争肯定派が、結構存在しているのだな、と分かる。

うじきつよしの徹底的な「平和主義」と、多くの視聴者の「戦争肯定派」のどちらを取るかと
問われれば私は「平和主義」を取る。またうじきつよしが、「父親との対話を成立させたい」と
いう望みには大いに共鳴するものであるが、そのためには、父親の理解が先ではないのか?
イギリスの戦略思想家 ベイジル・リデル=ハートの言葉に、「平和を欲するなら、戦争を理解せよ」
というのがある。そして戦争を理解するためには人間を理解しなければならないのではないか?
うじきつよしにとって、平和こそが大切だから、必死で父親理解のために対話したいと願う。

うじきつよしは、戦犯として収監された牢獄生活を楽しかったと懐かしむ父親を疑問に思う。
私に言わせれば、それは当然の事で自分の人生を肯定したいと願う人間の欲望だろう。そういう
強さを秘めているから、様々な苦労を乗り越えて、戦後に結婚し、うじきつよしを生み育てて
89歳の今日まで生きてきたのである。生き続ける事は、明らかにある面で正義の1つである。
うじきつよしが真に欲することは、自己の平和主義と父親の生き様との両立ではないのか?
そうなら、うじきつよしは戦争を理解し、対話にたよらず、父親を理解することをなすべきでは
なかろうか。彼の父親の信念が、終戦後も変わらない事は、多くの日本人が終戦を境にして
簡単に豹変した事と比べて、責められるべきことではなく、かえって賞賛に値するだろう。

普天間問題に関するNHKの日曜討論を録画で再度、視聴した。専門的な方々の討論で随分と
勉強になった。確かに沖縄の基地問題のジレンマを打開するためには、政治主導も大切だ。
しかし余りにも軽率な素人政治主導で、行方定めぬ道を踏み出してしまった。
いまや天下泰平に不平不満で、天下騒乱を夢見ている輩がゴロゴロしている。大局観のない
政治主導は悲劇を生む。決して許してはならない。日本人が真に平和主義を貫くというなら
現実認識を的確に行い、現政権の政権担当能力を厳しくチェックすべきだ。如何なものか。
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