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ゲゲゲの女房・34 [物語]

今日の「ゲゲゲの女房」では、布美枝(松下奈緒)が、茂(向井理)について、「また鬼太郎のこと考えとる。あげに怖い話、あの人のどこから出るんだろう?」とつぶやくシーンがある。
続いてナレーションの野際陽子が、「いつもの飄々として朗らかな茂と鬼太郎の不気味な世界。布美枝には、この二つがどうしても結びつきません」、と続ける。

私はこの二つの世界が茂の中で結びついて鬼気迫る劇画になった背景に、水木茂(本名・武良茂)の深刻な戦争体験があったと考える。ドラマ「ゲゲゲの女房」では貸本屋「こみち書房」が出てくる。女主人・田中美智子(松坂慶子)は、夫としゅうとめと同居しながら、明るく元気に店を切り盛りして近所でも頼りにされる存在であるが、夫・田中政志(光石研)は戦時中の出征先での体験がもとで、積極的に生きる意欲を失っている。こういう人が私の身近にも沢山居たし、少し神経を病んで淋しい一生を送った人も多かったのである。茂は日常的自己とこの様な特殊な戦争体験を分裂させず、浄化する儀式として、戦記ものや妖怪伝等を綴ったのではなかろうか?
水木しげるは“鬼太郎夜話”という作品の中で、「人間の頭では理解できない世界がある。・・・・離れていればどんな不可思議な事が起こりはしないかと恐怖心にかられます。彼ら(鬼太郎親子)と暮らすのがかえって安全なのです」と書いている。戦記ものや墓場の鬼太郎を書く事は、異常な戦争体験をそれなりに自分の中で浄化していくためには、避けて通れなかったのだと確信する。

私は水木しげるの作品には疎い人間だが、初期の妖怪のオドロオドロしさは異様に感じたものだ。
一番、変化がわかりやすいのは、鬼太郎とねずみ男の描き方である。1961年の結婚が、しげるに大きな影響を与えた事は、漫画の描き方の変化を見れば一目瞭然である。結婚は、しげるの心の中での戦争体験の浄化作用が、その当時に最終局面に至っていたことと不思議な同期をなしいたと思われる。此処にも、世にも不思議なできごとがあったのだ。

そして漫画の描き方の変化と新・漫画時代の幕開けとが同期した事も、不可思議な出来事であったと言わざるを得ない。少年向け漫画週間誌は、昭和34年(1959)頃から発行していたが、私が大学入学した昭和36年(1961)頃は大学生も携行するのがファッションとして流行し始めた。麻生前首相ではないが、大人も漫画を楽しむ時代の流行もまた昭和35年(1960)前後だった。
今「ゲゲゲの女房」がNHK連続テレビ小説に取り上げられた事は不思議な天の配剤ではないか?
基地問題は鳩山首相や民主党のように甘ったるい感傷に浸って考えるものではない。関係者は、
もっと深い人生体験に基づいて真摯に問題と直面すべきではないのだろうか?如何なものか。
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