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子どもの方程式 [物語]

今日は昨日と打って変わって好天に恵まれ心地よい散歩ができた。風があったが気温もソコソコで
鯉のぼりが勢い良く泳いでいる向こうの里山は、少し見ぬ間に新緑に染まって清々しい。
本当にいい季節だ。俳句の世界では、立夏(毎年5月5日頃)から夏で、「鯉幟」は夏の季語。
それにしても今年は寒暖の上下動が何度もあって、俳句的晩春に冬の寒さを感じるのも異常?

私は子どもの頃、日本の四季を、春:3月~5月、夏:6月~8月、秋:9月~11月、冬:12月~2月
と習ったから俳句的季節感にはなかなか馴染めなかった。少しずつ慣れてくると俳句的季節感も
また捨てがたいところがある。それは俳句などを通して昔の人々と自分との生活感覚の違いを
感じ取れるからである。冷暖房など環境制御のママならなかった昔は自然のリズムと同調する
ために、早め早めに身体を慣らして行ったのだろう。

ある高名な先生が、「教育の真の目的は、経験の仕方を教える事」という内容を本に書いていた。
四季をどのようにくくるか?を教える事は、先生の言いたかった具体的な事例として適切では?
この事例で明らかだが、“経験の仕方を教える”、“経験の仕方を学ぶ”という事は、“社会”、
“仲間”、“共同体”への効率的な参画のために必要なのだと思う。

日本人は子どもを可愛がる幼児教育で幼児期に自由な経験をした。だから型にはまった常識を
植えつけられても、従来は、幼児期の独創的経験のノウハウを活かし、社会を活性化してきた。
幼児期の自由な経験を、社会へ参画する上で矯め直すために、“経験の仕方を教える”、
“経験の仕方を学ぶ”必要があるのだと思う。
日本教育は、集団主義的傾向が強いが、従来、幼児期の自由な経験ノウハウが高いからであり
欧米教育は個人主義的傾向が強いが、従来、幼児期の経験が拘束的だったからではないか?
しかしグローバル化時代となり、物質至上主義、拝金主義になり、洋の東西を問わず、幼児期の
経験ノウハウが乱れてきているために、従来の社会制度が通用しなくなってきている?

社会の子どもの数に関する「子どもの方程式」というものがあるそうだ。
子どもの数には、社会や養育者の子どもに対する“愛情”が大きな要素を占めているという。
子どもの数が減るという事は、社会を保全していくのに必要な“愛情”が不足している?
日本の幼児期経験ノウハウは、大切な日本の文化資本であり、社会制度のあり方によっては
その崩壊につながる。崩壊は金によって解決できる話ではない? 如何なものか。
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