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落語・今昔物語 [閑話]

今朝のTV朝日スーパーモーニングで、「“円生”泥沼襲名騒動」というのをやっていた。
三遊亭円生の名跡襲名をめぐる騒動のようだ。詳細を知らない襲名騒動に関しては言及を避け
今、落語の昔を振り返ってみる。襲名騒動番組後、友人のブログを見た事がキッカケとなった。
友人のブログに、三代目・三遊亭歌笑の碑(秋川渓谷のほとり?)の写真が載っている。
何気なくその写真を拡大して碑文を読んでみた。 渥美清の署名がある。
「ブタの夫婦がのんびりと 畑で昼寝をしてたとさ ・・・中略・・・ 女房のブタが驚いて
 あたりのようすを見るならば いままで寝ていたその場所は キャベツ畑であったとさ」
後で知ったが、これは、歌笑の新作噺「純情詩集」の1つである。
何故、渥美清が碑文を書いたかだが、渥美清が映画(「おかしな奴」1963年)、更には
TVドラマ(「おもろい夫婦」1966年10月6日~翌年3月30日)の中で歌笑を演じた縁の様だ。

三代目・三遊亭歌笑は、大正6年(1917)生れ、昭和25年(1950)32歳の若さで交通事故の
ためになくなった。亡くなった当時は「純情詩集」などで人気絶頂だったという。苦労も
あったろうが、素晴らしいお嫁さんをもらって幸せだった?終戦直後の純情詩集の1編に
「やるせないないやるせない ボクの家には悲しくも 米もなければミソもない・・・中略・・・
 ものを買うにもゼニがない ・・・中略・・・ おまけに仕事が見つからない 泣いても涙も
でてこない やり切れないないなさけない」 というのもある。

こういう情報は、小島貞二著「高座奇人伝」筑摩文庫からの受け売りである。
「純情詩集」の元ネタは、柳家金語楼の若い頃の新作噺「金三詩集」だという。
私は残念ながら、三遊亭歌笑の落語を聴いた記憶がない。昭和25年といえば私は9歳だった。
ただあの頃はラジオ全盛で家族もよく落語を聞いていたから、録音を聞けば思い出すかも?
「純情詩集」をまねたのが、柳亭痴樂の「痴楽綴方狂室」である。これは私の記憶にも
残っている。「ヒロシです」もこの系譜に連なっているといえなくもないのか?

前述の「高座奇人伝」で、歌笑が漫才を警戒しマークしていたこと。落語の世界のことを
“狭い世界”と批判していたことを知った。あの当時の人々は本質を見る目があった?
歌笑が亡くなってから60年の歳月が流れた。歌笑の心配は早すぎたとも言えるが、高度成長
という日本の未曾有の出来事が、様々な事の本質を見失う大きな障害となっていることも
見過ごしには出来ないのではないだろうか? 如何なものか。
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コメント 3

和久

isimotoさん

歌笑の碑文、よく読んでくださいました。
ありがとうございます。
私ももちろんライブでは聴いてませんが、図書館でレコードを借りて聴いた記憶があります。
痴楽にそっくり、というか、痴楽は歌笑を丸ごと真似たのでしょうね。

by 和久 (2010-03-17 22:58) 

moto

和久さん
私は関西出身ですから強いて言えば漫才派ですかね。落語は何といっても江戸落語でしょう。上方落語も面白い噺はたくさんあるのでしょうが、なんだかモッチャリしているとか、お品がないというイメージが残っています。

落語は、視覚よりも聴覚に比重があると思いませんか?
高座という場所と一人という人数の制約で、視覚化への限界があると思います。
そういう意味でTV時代の漫才は視覚化の拡張を行っていますね。
何はともあれ、大声で笑う事はガン予防にもなるとか。無理矢理笑っても健康にいいらしいですから、笑わせる芸能集団は、余りもめずに皆を笑わせて!(笑い)
by moto (2010-03-18 00:10) 

りぼん

@ラブ子ちゃんの この頃 [猫]に
貴重な・nice!~ コメント有難う御座いました
☆♪
広告に応援ありがとうございました
大変励みなりましたm(_ _)m
by りぼん (2010-03-18 11:15) 

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