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新聞の品格 [社会]

29年前(1981・昭和56)の今日は、倉敷の気象観測史上最低記録・-8.0℃、岡山は-9.1℃の日である。転勤で横浜に転宅したのは1983年。1981年は、私の一家はまだ倉敷に住んでいた。
それにしては寒さの記憶がないのは、まだ30歳代だったからだろうか。今日は昨日ほどではないが、暖かな日和だった。 ○ 寒暖が 気になる 前期高齢者

今朝の朝日新聞の一面に、“核持込「暗黙の合意」”という記事がデカデカと出ていた。
この記事を一読して、このような記事が一面を飾る事に違和感を覚えた。情報入手ルートも去ることながら、その記事内容の報道上の意義も含めて、十分な検証がなされているのか?大いなる疑問を感じた。もし一般新聞各紙が同様の記事を書いているとすれば、明らかに全体主義への回帰だと感じ、手近に入手できる読売と産経を読み比べてみた。幸いに両紙は「核密約」記事には触れていなかった。現代の新聞はまだそこまで落ちぶれていない事に一安心だった。

私は過去に、2009-09-21敬老と核密約、2009-11-21続・たこ壷型社会、2009-11-23続2・たこ壷社会、2009-12-23核密約問題、等のブログで核密約問題を取り上げて、そのバカバカしさを論じた。日米同盟の故に「幽霊がいるぞ(核があるかも?)!」とフェイントをかけるだけで、米国の核の傘に入ることができる。核の傘に入ることによる核兵器は抑止力に意味があるのだ。
それなのに、そのフェイント(外交術)を廃止し、非核三原則を日本が貫けば、少なくとも直接的な核の傘はなくなり、その分、抑止力がなくなって核被害の可能性は大きくなる。
勿論、米軍ミサイルの命中精度は抜群だろうから遠隔基地からの核支援も強力だろう。しかし日本が核爆弾で破壊されてから報復してもらうより、外交術的抑止力の方が余程良いと思う。

朝日新聞の核密約記事は、そういった根本的な問題を全く検証せず、‘非核’という金の牛に目が眩み、情報を鵜呑みにして流す鳩山政権への提灯記事と思われても仕方がないだろう。
最近新聞紙はインターネット新聞に食われ大打撃と言うが、こんな記事では読者も居なくなる。
新聞紙の利点は、紙面割付による記事の重要度ランク付けである。多忙な人々にとって重点的に記事を読み下せてこその新聞紙だ。多様化した現代ではランク付けに勇気が必要だが、そのランク付けに信頼感が出来れば、読者は付いて来るだろう。最近の新聞読者の耳や目は肥えている。新聞読者は、記事そのものよりも、記事の目的、意味を評価する。これからの新聞紙に求められるのは、一部の有力者、知識人に気に入られる記事ではなく、記者や編集者の品格、新聞の品格ではなかろうか?如何なものか。
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和久

isimotoさん
「新聞は社会の木鐸」はもう死語なのでしょうかね?
朝日新聞は雅子様のご懐妊記事以来嫌いになりました。
私、今では日経しか読んでません。


by 和久 (2010-02-28 19:21) 

moto

和久さん
私は当地に来てから朝日、毎日、読売、産経などを切り替えて読む習慣が付きました。時々変わるのも面白いです。新聞を頭から信用しない頭の体操にもなりますからね!(本音は切り替え割引?)
by moto (2010-02-28 22:52) 

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