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見かけ?生き様? [社会]

昼食時のtv番組「おもいッきりDON!」を見ていたら“今日は何の日”というコーナーで、
久し振りに「M」を聞いた。私が「M」を聞いて思い出すのは、岸谷香さんには失礼だが、
NHKテレビ小説「だんだん」で、めぐみ(三倉茉奈)そして続いてめぐみ(三倉茉奈)が、
石橋(山口翔悟)に思いを歌に託して唄う場面である。(20081124のブログ「M」とコーラス)

実は「M」を聞いたのはその時が初めてだった。伝説の“プリンセス・プリンセス”の活躍時期は
私の人生で最も多忙な日々で全く知らなかった。今日始めて、オリジナルのボーカルで「M」を
聞いてさすがと思った。茉奈・佳奈も上手だが物語が手助けしてくれる分、人の心に届きやすい。
それに比べてステージ演奏はバックグランドがないから歌唱力がなければ人の心に届きにくい。
今日が誕生日の岸谷香さんの生き様を聞きながら、その歌唱力の源泉が分かるような気がした。

NHKテレビ小説「だんだん」を私がブログで度々とり上げるので、ある人から「如何なものか?」と
意見されたことがある。それでもめげずに最後までとり上げたが、その後のNHKテレビ小説では
正直ブログにとり上げる意欲が湧かない。私の好みもあるが、例えば最近の「ウェルかめ」などは
視聴していてもブログに書く気になれない。その理由は何なのか?一度考えたいと思っていた。
岸谷香さんの生き様、オリンピック選手などトップアスリートたちの生き様、「だんだん」と「ウェルかめ」等
を考える時、人の意見とは別に、私が大切に思っている事とは何なのか?が透けて見える。

目標、計画、設計、創作等の実施活動の中で、たくらみ、はかりごと等の作意をしない事。それが
私にとって大切なこと。‘ウソ’、‘作り事’、‘みせしめ’、‘後出しジャンケン’等は作意に当たる。
物語は、フィクションだから‘作り事’だが、そう思わせないような説得力が必要なのである。
そこに作者の生き様の差が出るのではなかろうか?政治にも‘ウソ’、‘作り事’、‘みせしめ’、
‘後出しジャンケン’等は欠かす事はできないのかも知れない。それでも、民衆や諸外国に見え透く
ようなものでは、長くは通用しないだろう。作意が見え透くかどうかは、それを発する側も、
受ける側も、そこに関係する人間の生き様にかかわっていると思う。今日のワイドショー番組
『ワイド!スクランブル』の「夕刊キャッチUP」で国母選手の人柄が見直される話が出ていた。
人間には失敗もあるし不完全な生き物という当り前の常識をベースに政府や文部科学省は
どのような人間像を求めているのか?国母選手の話が本当だとして、優しさや友達思いの
ボランティア精神といった心よりも、服装などの見かけを重視するのか?
そんな政府が、子ども手当を出したら、どんな子どもが育つのか?心配だ。如何なものか。
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