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来年の夢 [希望]

今日は師走の風物詩・羽子板市の日である。もう何十年も前になるが、娘のためにと思って浅草の羽子板市で羽子板を買ったことがあった。残念ながら子ども達の時代はそういう習慣が廃れてしまったのか、羽子板は飾物の儘だった。私の幼い頃は、正月は男でも羽根つきをしたものだ。
我が家には姉が持っていた立派な羽子板があったが、年と共に人形などの装飾品がとれていき、最後にはほとんど杉の板だけになった。安物の固い板の物よりも軽くて当りが柔らかで、最後まで使っていた。今も懐かしい正月の思い出である。今も羽子板市が盛んらしいが羽根つきは健在なのだろうか?

正月の遊びの事から、ふと来年のことを思った。私の子どもの頃は、「来年のことを言うと鬼が笑う」とよくいわれたものである。我が家には、“今を大切にする”という気風があった様に思う。私は幼い頃は夢想家だったのか?或いは第二次世界大戦という苦難を体験して、先のことに過大な期待をかけても世の中どうなるか分からないという思いがあったのか?私が今まであまり未来に期待をかけなかったのは、そういった生い立ちが影響していた??・・どうもウソっぽい?

それでなくともこの年になると未来の夢を語る程の内容はないのだが、週刊朝日2009.12.25号の「18歳石川遼 最年少賞金王 快挙支える父の長期戦略」(畑中謙一郎)を読んで、久しぶりに‘明るい希望’を持つことができた。それは、石川勝美・遼父子が、二人三脚でトテツもない目標に向かって着実に進展していることが伝わってきたからである。

どんな世界にも、世界一になる人がいる。誰かが宝くじに当たるのと同じようなものだと思う。
宝くじ3億円に当たる事も、何かで世界一になる事も、誰かは必ずそうなるのだから、別に特別の事とも思わない。タイガーウッズもゴルフは素晴らしいが、女性問題というゴシップもある。
“結果がすべて”というが、私は結果ではなく、プロセスだと思っている。
石川父子の素晴らしさは、石川遼の夢に向かっての現在進行形のプロセスである。
今年6月のミズノオープンよみうりクラシックで、5打差の首位で迎えた最終日12番ホールティーショットを
連続OBとした。その次もドライバーで打ち、危うくOBになりかけ、2位と並ばれだ。結果的には優勝したがプロの常識ではないかもしれない。記者が「(あの時のことで)遼を怒ったか?」との質問への父親の答えが、「いえいえ、3球目も(ドライバーで)よくぞ打ったと褒めてやります」だった。
或る時、父親の勝美さんは、「普通のことをやっていてはだめなんです。私と遼はね、大魚をつろうとしているんですよ」とつぶやいたらしい。 実に夢のある話ではないか?如何なものか。
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