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人生の完成? [思い出]

前に、五木寛之の「林住期」を読んでブログ (2008.03.19-20) に書いたことがある。
インドで生み出されたライフサイクルの四住期 (学住期・家住期・林住期・遊行期) で
‘遊行期’に関しては、その時には単に人生の終末期という程度にしか考えていなかった。
ところが年のセイか最近、親父の最も尊敬していた空海(弘法大師)のことを思い出し、
親父が晩年親しんだ四国遍路との関連から、‘遊行期’について少し思うところがあった。

空海は、宝亀5年(774)讃岐の現在の香川県多度郡・屏風が浦に生まれ、835(承和2年)
高野山にて入定した。62年の生涯である。804(延暦23年)最澄らと入唐、最澄は1年後、
空海は2年後に帰国した。当時、留学期間は20年間と定められていたという。1,2年で帰国
する事は違法であり罰せられても仕方なかったというが、学習成果を説得できればよかった
らしい。最澄も空海も有り余る才能でその関門を通過し、以後仏教界の重鎮として活躍した。

四国遍路は空海の悟りを開いた修行の道と言う事になっている。そのような期間が何時頃に
あったのか?司馬遼太郎の「空海の風景」によると、空海の生涯は当時の同時代資料で相当
詳しく知る事ができるという。だが31歳で留学するまでの7年間だけが空白に近いとのことだ。
空海も、その時期に、阿波の大滝嶽、土佐室戸崎で修行したことについて言い残していると
いうことだが、四国遍路のような広範囲の修行をしたかどうか?明らかではない。

空海の事跡から四国遍路をたどると、それは青春期の‘学住期’における活動であった。
現代では年齢に関係なく、若い人でも人生に迷いを感じた時に、四国遍路に詣でるという。
現代的四国遍路は、直接的には、 ‘遊行期’と結びつかないように思われる。
しかし四国が発祥の八十八箇所巡りという遍路旅は四国だけでなくこの岡山の至る所に在る。
恐らく瀬戸内海の島々には遍く、八十八箇所巡りがあり、老人達が巡っていた事が偲ばれる
のである。この“八十八箇所巡り”の普及は、単なる流行の域を超えて人間のライフサイクルと
密接な関係があったからではないだろうか?空海の時代と現代との千数百年の時空に育った
四国遍路は空海の教えを現世において実現するために始められたのだろう。修験者のような
専門家を育てるのではなく、庶民のライフサイクルにおける‘遊行期’即ち人生を完結させるに
相応しい活動として育まれてきたのではないだろうか?“八十八箇所巡り”や“遍路の旅”は
長い歴史の積重ね、膨大な数の人々の知恵と努力による協力の賜物である。その根底には
人々の人々による人々のための 「人生の完成への祈り」 があったのだろう。如何なものか。
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