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閑話'09_0828 [閑話]

これからの日曜日までは合唱漬で過ぎていくことだろう。
私の尊敬する合唱友達(年齢は同輩だが合唱の大先輩)は暗譜してからが本当の練習だという。
私のような、何をしてもモノにならないグウタラには分った様でよく分らなかった。最初は
“暗譜してから” というが、結局、暗譜が出来ていないのだろう、位に思っていた。
それが、棒高跳び女王:エレーナ・イシンバエワのベルリンでの敗戦理由記事を読んで、
にわかに頭の中が整理されて、より具体的にわかったような気になったのである。

イシンバエワ敗戦の弁は、記事では、「自信過剰」ということになっていたが、
私は、それは怪しいと睨んでいる。ゴールデン・リーグ2009第5戦チューリッヒ大会が、
28日から始まるから、そこでも敗れるようだったら、私の予想が当たっている事になる。

合唱活動は、スポーツ競技と比較すれば、その優劣について素人には分りにくい。
しかし音楽性や発声、合唱技術に優れた人に合唱演奏の優劣を聞き分ける事は容易なのだ。
合唱演奏は一人一人が完璧に歌うだけではなく、相互に溶け合い、大きな一つのうねりとなり
聴衆の胸の中に訴える歌声とならなければならない。そのためには、各パートの歌声や伴奏、
指揮者の意図など、すべてを自らが感じ取った上で、自己表現を実現していく必要がある。
練習中、完全に的に当てるまで練習したとしても、本番には風や湿度、諸々の環境変化もある
弓術のように、合唱本番には、また合唱本番の魔物がすんでいる。
私の尊敬する合唱友達は、演奏会における演奏レベルの目標を、気の遠くなるほど高い所に
置いているからこそ、暗譜後にも、さらに密度の濃い練習を継続できるのである。

本番の競技で気持が入らなかった(コーチは『どうした?技術も助走も良かった。
体はそこにあったが、気持ちが抜け落ちていた』と言った)というではないか。
世界の頂点に立った経験を持つイシンバエワが、その厳しさを忘れていた?
金メダルを取るのも、世界記録を出すのも簡単なことだと思っていた?本当にそうなのか?
私には、コーチや関係者に対する言い訳に過ぎないようにしか思えない。
今回の敗因を「自信過剰」というような安易な理由と考えるほど、トップアスリートの世界は
甘くないと思う。ゴールデン・リーグ2009第5戦チューリッヒ大会の結果に興味がある。
頂点を目指して負けたのではなく、頂点を見失ったものが、頂点に返り咲くのは難しい。
如何なものか。
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