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明治30年代と昭和30年代 [物語]

今日は万歩計の週間集計最終日である。このところ、週間目標:7万歩を下回った事はない。
最終日、1万歩以上ショートしているというのは久しぶりの事。生憎、朝から本格的な雨。
それでも、雨降り散歩は慣れっこになっているし何とかなると思っていたら、何とかなった。
夜の合唱練習から帰宅したら、昨日までの集計+今日の万歩計の記録≒7万歩 になった。
合唱練習の帰路、21時台は、結構冷え込んだが、懸命に歩いているうちに身体が温まった。
こんな時間帯にも散歩をしている人を見かけた。少し足が悪そうな年配の方だった。
やはり人目を気にして夜遅くに歩いているようだ。みんな、それぞれに健康管理をしている。

目標にチャレンジ 春の夜の散歩

先日、鯉のぼりの庶民における流行の走りを考察した時に読んだ 「百年前の家庭生活」(平成
18年(2006)に出版された)という本は大変興味深い。庶民の生活は記録に残らないから時代
と共に流されて分らなくなると言う。確かに細かな話になると、自分自身の成壮年時代の事も
記憶が曖昧になっている位だから百年も過ぎると忘れ去られてしまうのだ。

例えば徳富蘆花の「不如帰(ホトトギス)」という小説が新聞に連載され始めたのが明治31年
私もこの話は演劇(新派)や映画でも知っていた。私が生れる前のものが多かったが、
昭和30年代までは映画もつくられたし、劇も演じられていたと記憶する。
相思相愛の理想的なカップルなのに、夫の武雄(男爵・海軍士官)が日清戦争で留守のうちに
姑が新妻・浪子が肺病であることを理由に離婚させてしまい、彼女は淋しく「千年も万年も
生きたいわ!」と絶叫して死んでしまうという悲しい、嫁姑問題の原点のような話である。

昭和30年代、私がこの物語がその当時の時代風潮からして現実離れしていると感じていたにも
かかわらず、変だとも思わなかった理由が、今振り返って分ったような気がする。それは、
大人たちには、戦後のエログロナンセンスなどよりずっと感情移入できる話であり、郷愁と
いうか、超自我というか何か、離れがたいものを感じていたのだということである。
現代の人々が、昭和30年代に、「三丁目の夕日」のような郷愁を感じるのは、「不如帰」や
尾崎紅葉の「金色夜叉」などを懐かしむ人々が活き活きと生活していた時代だった事と
無関係ではなさそうだ。 如何なものか。

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