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日本の現代思想_2 [希望]

午後の合唱練習の往復を散歩に当て新ルートを開発した。今日も好天で散歩も真夏と変わらぬ
服装なのに汗をかいた。合唱仲間との雑談でも、寒さから暑さへと急変して夏が来たようだ
という話になった。 年々歳々、春や秋の期間が短くなっているような気がする。
今日はキリスト教徒の最大の祝日 “復活祭”。キリスト教に縁のない人は関心もないか?
祝日を決める手続きで大昔もめて、年によって日付が変わるらしい。そのせいか、それとも
キリスト教徒に失礼だということなのか、バレンタインデーのような騒ぎにはならない。

さて、昨日仲正昌樹の「日本の現代思想」を読んで褒めちぎったが、現代思想とは何かという
事は、良くわからないのである。色々な解釈があるという形で納得するのが現代思想?
それは兎も角、内容から受けた感じは、現代思想が、現代の混沌とした世相を読み解いたかの
ように見えるのだが、それは、著者の主観に過ぎないような気もするのである。
「歴史の終焉」という見方もあって、大きな物語はもうできないかのような書き振りであるが
それは、現代思想が、混沌とした状況の説明迄しかできない程度の未熟な段階ないのでは?と
疑いたくなる。 流行受けする、金儲け主義的な領域に群がっているだけの話ではないのか?

構造主義と呼ばれる人々の一連の仕事によって、西欧的な思想が、汎世界的なモノではなく、
西欧的共同幻想であり、いわゆる民族主義的な産物に過ぎないと言うことを明らかにした事は
素晴らしい業績であった。そしてマルクス主義から発展した共産主義国家も汎世界的な存在
ではなく、単なる国家的幻想に過ぎない事が証明された。そして同様に資本主義国家も、
単なる国家的幻想に過ぎないのである。 ただ、資本主義の方が、包容力があって、
日本などを含め民族的あるいは国家的共同幻想の異なる多くの国家を内包している。

私は、個人レベル、地域共同体レベル、行政自治体レベル、国家レベル、国家間レベルなど
様々な共同幻想があってよいし、政治形態があってよいと思う。 いわばアメリカ連邦形式で
ある。アメリカ連邦の州毎の政治形態はかなりと異なる。全組織で共有するような共同幻想も
あれば下部組織に特有の共同幻想もあるだろう。そのような異なる共同幻想を纏め上げるのが
なるべく力の介入なく秩序維持ができる政治、経済、社会システムである。
各レベルの共同幻想が、その上位レベルの秩序維持を可能にするものであれば、上位レベルは
直下レベルの異なる共同幻想を受入れ可能なはずである。従って大きな物語は可能だと思う。
多様性を許容するグローバリゼーションという大きな物語というのは、 如何なものか。

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