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寛容?不寛容? [希望]

今朝の朝刊で担任の体罰が一因で福岡市の中学生が自殺したという記事を読んだ。これと同様の事件が過去にも北九州市の小学校でも起き裁判沙汰になったという話もある。この様な事件には様々な要因が重なっており軽々に口を差し挟むべきではないが、未来を担う青少年の育成、命の尊さという重大な課題を内包した問題なので、私なりの意見を書き留めておいた。

私の視点は昨日の「不機嫌な時代」からの問題提起である。
近代日本のエリート文豪達が等しく「不機嫌」になったのは、精神の内面を深く見つめる職業だったからであり、その背景には、西洋との出会いによる文化ショックがあった。
それまでの日本は、儒教的倫理観で統一されてはいたが、現実の日常的な場面では、多神教的な(今で言えば多民族混合的な)多様な価値観を受容する風土があった。

文明開化後に西洋から伝来した文明は理性で固められた単一の価値観であった。
現実の場面では、何とかなっていくが、重要な部分で行き詰ることを文豪達は直感し、
「不機嫌」になったというのが、「不機嫌な時代」を読んだ私の感想である。
文豪達の直感通り、日本は“文明の衝突”から“武力の衝突”へ、敗戦への急坂を転がり落ちていった。 西洋の向こうを張って“天皇一神教”という不寛容な価値観を旗印にして。 

そして二度目の文明開化後、平和を希求し、汗と努力で経済的繁栄を成し遂げた。
江戸時代や明治維新から戦前までの多様な価値観の社会はお上ご一人(徳川将軍または天皇)という絶対権力、そして戦後は“アメリカ”という目標があって、現実の日常的な場面では、
一神教と多神教を使い分けてうまくやってきた。 と思っていた。
しかし現実の世の中を見ると、本当に一神教と多神教をうまく使い分けているのだろうか?

「体罰」は良くない。しかし小学生や中学生が体罰を理由に安易に自殺するのもおかしい。
これから多様な価値観を認める寛容な社会を目指す時代に、「体罰と自殺」 という問題は
価値観の多様性を共存させるということの “奥深さ” を思わせる。 
明治維新、第二次大戦、戦後の経済発展を経て、時は熟した。
文豪達が直感した「不機嫌」を直視し、深い思索に基づいた、分りやすい社会のあり方を明確にすべき時ではなかろうか? 如何なものか。

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